Henly Gate

キャンパス内

キャンパスビーチとラグーン

2017 年秋 海外ポスドクを志す

昔からいつかはアメリカで研究してみたいという漠然とした思いがあった。博士号取得後の 2018 年 4 月からの勤務先は決まっていたが、もしもうまく海外ポスドク先が決まれば退職して海外へ行くという意向をボス(予定)に相談したところ快諾して頂いた。この時期から海外ポスドク先を探し始めた。ラボ選びの方針は以前の記事で書いた通りである。また同時期にElings Prize Fellowshipにも応募した。

2018 年 2 月 Elings Prize Fellowship のオファー

幸運にもカリフォルニア大学サンタバーバラ校から Elings Prize Fellowship のオファーレターを頂き(日本人初)、同大学のAndrea Young グループに同年 10 月から行くことが決定した。

※上のオファーレターによると 2018 年では Elings Prize Fellowship の年間給与予定額は 60000USD (~ 660 万円)だが、2021 年現在は公式サイトにある通り 65000USD になっている。また UC サンタバーバラのポスドクの給与は年間 2%上昇する(これはフェローシップに限らない)。したがって 2021 年現在 Elings Prize Fellowship を獲得すると 1 年目 65000USD, 2 年目 66300USD, 3 年目 67626USD (~ 743 万円) となる。

2018 年 3 月 博士(工学)取得

博論審査を無事に通過して、東大から博士号が授与された。同時期に幸運にも日本学術振興会育志賞も頂いた。

2018 年 9 月 27 日 渡米

アイラビスタの学生街でシェアハウスで暮らし始める。最初の 1 ヶ月は英語が分からなすぎて非常につらかった。 初見の装置の使い方の説明を理解するのが特に大変だった。食事に関しても、とりあえず空腹をしのいで明日生きていればそれで良いくらいの精神で朝夜菓子パンと昼はキャンパスの YOSHINOYA で食べていた。それから程なくして食事処をいくつか見つけ、朝はカロリーメイト、昼はサブウェイ、夜はサブウェイまたはインドカレーというスタイルになった。インドカレーは東京だとナンがデフォルトだがアイラビスタのインドカレー屋はライスがデフォルトだった。カレーは美味しかったが、ライスは美味しくなかった。またサブウェイをあまりに食べ過ぎていた時期もあり、一時期サブウェイを全く受けつけなくなった。家に帰るのは"毎日"夜 10-12 時くらいだった以前の記事でも書いたが、アイラビスタは学生街でとても治安が良いので夜1時にぼーっと歩いていても全く身の危険を感じたことはない(アメリカの他の多くの場所ではこうはいかないと思う)。むしろ、頭上からかなり太めの枝が突然落ちてきたり(頭に落ちたら怪我では済まないかもしれない)、目の前で倒木したりなど人以外の要素で危険が多い。

2018 年 11 月 ソーシャルセキュリティーナンバー(SSN)取得

アメリカ人にとって命の次に大事なSSN(納税者番号)を取得した。これがないとタックスリターンなどの場面で困る。

2018 年 12 月 研究テーマ大幅変更

当初予定していた研究、つまりフェローシップ獲得用の書類で書いた研究計画、は非常に難しいことが分かったので、渡米から 3 ヶ月も経たずにあきらめ、全く別の研究テーマに切り替えた。 以後、フェローシップ獲得用の書類で書いた研究は一度も行っていない。

2019 年 1 月 歯の神経を抜く

この記事で書いたが、歯の神経を抜いた。アメリカで根管治療をうけるのはなかなか無い経験ではないかと思う。(もう一度したいとは思わない。)

2019 年 3 月 アメリカ物理学会@ボストン

ボストンで開催されたアメリカ物理学会(正式には APS March Meeting)に参加した。大雪だった。ちなみにサンタバーバラは雪が降らない。翌年の同学会は開催2日前に COVID-19 の影響で突然キャンセルされた。

2019 年 6 月  2 人の学部生のメンターになる

自分が直接メンターをする UCSB の学部生(2 年生と 3 年生)を2人受け持つことになった。2人には主に私の実験で使うサンプル作製の前半の部分を担当してもらった。

2019 年 6 月下旬 引っ越し

妻が渡米してきてくれ、これを機に同じアイラビスタにある 1bedroom (ほぼ 1LDK) の部屋(前のシェアハウスから徒歩 10-15 分)に引っ越した。以後は妻が料理を作ってくれたおかげで、カロリーメイト、サブウェイ、インドカレー、そして YOSHINOYA のローテーションからは卒業した。

新しいアパート

2019 年 7-8 月 リンダウ・ノーベル賞受賞者会議に参加

毎年、ドイツのリンダウに 30 名程度のノーベル賞受賞者が世界中から招待され、若手研究者(大学院生やポスドク)に対して講演やディスカッションを行って下さる会議に参加した。 日本人は 10 名程度参加していた。詳細はこちら

2019 年 8 月-9 月  2 人の北京大学からのインターン生のメンターになる

当時受け持っていた UCSB の学部生二人に加え、北京大学からのインターン生(学部 3 年生)二人受け持つことになった。この時期は自分の実験と指導を並行して行う時間が多く、とても忙しかった。

2019 年 10 月 歯の矯正をはじめた

詳細はこの記事に書いた。

2019 年 12 月  1 本目の筆頭論文を投稿

渡米から 1 年ちょっとが過ぎ、やっと当時行っていた研究がまとまりそう(?)になった。より正確には競合がいることが分かったので、早急にまとめざるを得なくなった。ボスが競合の研究グループから「私達は今日投稿した」みたいな旨のメールを受け取ったらしく、突然(文字も図も全くなにもない状態で)ボスから 2 日で書き終えられるか?みたいな無茶振りを受け、Yes?って勢いで答えたが、4 日くらいかかってしまい、それをボスが 2 日で直し、1 日かけて 2 人で見直し、投稿という感じの超スピード論文執筆&投稿になった。論文執筆指令から投稿までわずか 1 週間である。ディスカッションは実質 1-2 日くらいしかしていない。この論文はアメリカでの最初の筆頭著者の論文となり、後にNature Physics (arXiv PDF 版)に掲載された。

2019 年 12 月 ニューヨークで超極寒の中、体調を崩す

とある実験のためにニューヨーク大学に 2-3 週間出張することになった。時期が悪かったのか毎年そうなのか、この頃のニューヨークシティは超極寒でマイナス 10 度を下回る日もたびたびあった。サンタバーバラの温暖な気候に慣れていた私は体調を崩してしまい、38 度以上の熱とひどい咳に苦しんだ。妻が看病してくれたが完治するのに 10 日くらいかかった。ちょうど中国で COVID-19 が発見された頃でもあった。

2020 年 3 月 18 日  COVID-19 の影響で大学閉鎖

私は当時 COVID-19 がまさかここまで全世界的に蔓延し、パンデミックを引き起こすことになるとは夢にも思っていなかったし、マスクもしていなかった。3 月 12 日にアメリカ物理学会が開催 2 日前になって突然キャンセルの連絡が入り、ハーバードやブラウンなどでキャンパス閉鎖の噂を耳にする。3 月 16 日にボスから slack でメンバー全員に数時間以内に装置など全て停止してラボを閉鎖し、キャンパスから去るようにと連絡を受ける。さらに 3 月 18 日に研究副学長からShutdown of All On-Campus Researchというタイトルの PDF ファイルがメーリスで回ってきて、この日を境に実質的にキャンパスが完全に閉鎖された。あっという間の 1 週間だった。そこからミーティングがすべて Zoom 上で行われるようになった。実験系の研究のつらいところは装置を使った実験が必要なためラボに行かないと全く研究が進まないという点である。Work from Home というわけには行かないのである。

2020 年 6 月 制限付きで大学再開

1 実験室 1 人ルールのもと実験が再開できるようになった。どの実験室で作業しても常に自分一人しかいないのは寂しかった。もちろんマスクは全員着用、さらにクリーンルームではフェイスシールドも着用義務になり、目の前が曇りすぎて非常に作業しづらかった。

2020 年 8 月  2 本目の筆頭論文を投稿

COVID-19 の直前に 7-8 割がた出ていた成果に関してまたもや競合がいることが分かった。例によってボスから来週までに追加データをとって論文を投稿しようと言われ、急いで追加実験を行い論文にまとめた。この論文はアメリカでの 2 本目の筆頭著者の論文となり、後にNature Physics (arXiv PDF 版)に掲載された。

2020 年 8 月  3 本目の筆頭論文を投稿

前々から気になっていたデータに関して、(サンプル依存性がとても多い物質なので)最初はサンプル依存性を疑ったが、サンプル依存性ではなく実は普遍的な現象ではないかと思い、ラボ再開後にとある実験を始めた。その仮説が実験的に正しいらしいことが分かり、ボスがその仮説が理論的に説明できるような物理現象を思いつき、論文をまとめはじめた。生き馬の目を抜く世界とはまさにこのことである。またもや競合がいることが判明した。そして例によって大急ぎで論文を書き上げ、投稿した。この論文はアメリカでの 3 本目の筆頭著者の論文となり、後にNature (arXiv PDF 版)に掲載された。

研究内容詳細は元ボスのこちらの動画の後半部分にも出てきます。

結局アメリカで書いた 3 本の筆頭論文に関して、ほぼ同じ研究テーマをやっている競合の研究グループがいたので、それらの他の研究グループからもほぼ同時期に似た内容の実験結果が同じ雑誌また別の雑誌の論文に出版され、報告されている。自分達だけが最初に見つけたわけではないというのはいささか悔しいが、裏を返せば再現性が高い実験結果であるともいえる。

2020 年 11-12 月 ビザ更新のため一時帰国

J1 ビザ更新のために一時帰国した。コロナのために 2 週間隔離などがあり、いろいろ大変だったが、Thanksgiving Day を挟んだにも関わらず、アメリカ大使館・領事館は新しいビザを営業日で 2 日程度で発行してくれた。この頃、ファイザーとモデルナがワクチン開発に成功したというニュースを聞いた。

2021 年 3-4 月  Pfizer-BioNTech 製のワクチンを接種

Pfizer-BioNTech 製のワクチンを接種した、接種後 6-20 時間くらいは腕の痛みと倦怠感があったが、発熱はなかった。

2021 年 5 月 研究テーマ変更

3 年目になって再度研究テーマを変更した。これが実質最後の研究テーマになった。

2021 年 6 月 マスク無し生活になる

CDC からワクチン接種済みの人はマスクをつけなくても良いというようなガイドラインが発表される。これを受け、UCSB でも下記のようなガイドラインが発表される(多分この頃はその後デルタ株がこれほどまでに猛威を振るうことになるとは誰も思っていなかったのだろう。私はデルタ株の存在さえ知らなかったと思う。)

2021 年 8 月 デルタ株の蔓延と共にマスク有り生活に戻る

COVID-19 の変異種であるデルタ株が世界中で広がり始め、アメリカでも再び感染者が急増したことから再びマスク着用が強く推奨されるようになった。

2021 年 9 月 日本へ本帰国予定

3 年間のポスドク生活も終え、あと少しで日本に本帰国である。

寄せ書き付きノートブック

ボスからの送別のプレゼント(本)と3年間使ったマグカップ

集合写真(2019&2021)


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